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『沈黙』 :: 2007/09/07(Fri)


仕事を棚に上げたまま、本日は午後からずっと本を読んでいた。

というのも、途中まで・・・と言っても恥ずかしいが、出だしの10ページ足らずを読んだっきり去年からずっと部屋の隅っこに放ってあった本があった。
ふと思い出したようにその本を手に取りページをめくったら、そのまま止まらなくなってしまい一気に最後まで読んでしまった。
気が付いたらもう21時を過ぎている。

私はあんまり頭が良くない。だから、読めない漢字や解らない言葉が出てくるたびに一々それを調べながら、文章の意味を咀嚼して自分の頭で理解しながら読み進むのにかなり時間が掛かってしまってしょうがない。
それで1日かかってしまったのだ。

その本は、遠藤周作の『沈黙』


『沈黙』の舞台/外海、遠藤周作文学館(個人の方のページです)


カトリックの知人は

「司祭ロドリゴが役人に捕まってから後の話が、重くて、なかなか読めないんだよね。」

と言っていたが、それほどでもなく読めた。
ただ、読んでいる間ずっと動悸がして、過呼吸気味で胸が重苦しかった。
何度も大きなため息をつきながら、それでも一気に読めたのは、
たぶん私が無宗教だったからだろうと思う。

神の沈黙 - 人々の嘆き苦しむ声に 神はなぜ黙ったままなのか?

バチカンに一石を投じたこの本は、カトリック信徒の方にとっては正に重いテーマだと思う・・・


フランス革命の“救世主” ジャンヌ・ダルクが、
結局は“魔女”の汚名を着せられ火刑に処された時、
炎に包まれながら最期に

「主よ 主よーーー!」

と、断末魔の叫び声をあげながら非業の死を遂げた。
という話が私の中で重なった。

「信仰」 って、一体なんだろう? 


キリスト教のいうところの「信仰」というのは、結構厳しいものの様だが、
司教や牧師によって、それぞれの考え方があり温度差はあるだろう。
本の中で、ロドリゴが棄教を迫られる時

(私を踏みなさい)とキリストの声が聞こえる。
(おまえが苦しんでいる時)
(私もそばで苦しんでいる。最後までお前のそばに私はいる)

やっとここで少し救われた気分になる。

数々の拷問に耐え「殉教」するのが立派な信徒の姿だ とは言いきれないだろう。
御絵を踏んだくらいで・・・
あんな過酷な状況下で「棄教」=生きることを選んだとしてもそれは仕方ない。
頑なに神を信じて殉教していった多くの人、拷問に耐えかねて転んだ(棄教した)人
そのどちらも苦しかっただろうと思う。
本当の意味での「信仰」「神様」というものは自分の心の中にあるのだと私は思った。

キリスト教もイスラム教も仏教も、根底にあるものは同じ様な気がする。
生きることは苦しい。 
艱難辛苦を乗り越える修行の旅。それが「生きること」なのではないだろうか。
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